JICA国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト2008審査員特別賞受賞のアイキャッチ

2008JICA国際協力エッセイコンテストで
サクラ エステルの「福島に生まれて今思う目標」

が中学生の部51,493点の中から

審査員特別賞

を受賞しました。
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ルイズは、娘のサクラ(桜の聖母学院中学校)がコンテストに応募していた事を受賞の報せで初めて知ったそうです。 (もう少し親子の会話を増やしましょう!)

ルイズ一家の生い立ち、日本生まれの心も日本人なのに外見の違いから受ける好奇のまなざしに小さな心を痛めていること、それを克服して将来の目標に向かって前進していくことを述べています。

受賞した皆様の作品はJICAホームページに掲載されていますので是非ご覧ください。

*JICA国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト2008*
http://www.jica.go.jp/hiroba/join/sanka/essay/2008/index.html

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掲載許可をいただきましたのでサクラの作品を転載します。

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中学の部 審査員特別賞

「福島に生まれて今思う目標」

桜の聖母学院中学校 一年

サクラ エステル

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私は平成七年四月二十五日福島市内で生まれましたけれど私の国籍はルワンダというアフリカの国です。

私のお母さんとお父さんはルワンダ人です。なぜ私が福島で生まれたかと言うと、一九九四年におこったルワンダの紛争の戦いでルワンダでは、住む事ができないと、思った母は、家で殺されて遺体が見つけられず死ぬのは嫌だったので、ゴマにある難民キャンプを目指して、子供三人と父方の祖母をつれて逃げたそうです。そして難民キャンプである奇跡の出会いがありました。

その奇跡とは、私の母が紛争の前に日本に留学していた事が吉となっておこりました。母が日本にいた時のホームスティ先に「生きている」とファックスを送ろうと列の後ろに並んでいた人達がAMDAの医師だった事です。なぜそれが奇跡だったかと言うと、AMDAの人は日本人なのでルワンダ語ができません。母は日本語もルワンダ語も話せたので、通訳をたのまれて、家族を養うお金ができたからです。そして、AMDAの医師の一人が福島に住んでいたことから、私達家族は今、福島に住んでいます。

そして私は今、福島で生まれて今年で十三年目ですが、小さい頃から母と一緒にいた事で紛争の体験話をよく聞きました。その度に、幼いながら理解し、戦争や紛争を二度と全世界でくり返されぬよう考えていました。

ですが今、世界ではまだ戦争や紛争で苦しんでいる人がたくさんいます。

また戦争や紛争以外でも苦しんでいる人がいます。

そして私も今まで苦しんでいた事があります。それは差別です。私は小さい頃から福島に住んでいたので日本人の中で一人だけ黒人でした。そのせいか、町を歩いていると必ず、町ですれ違った人達にじろじろ見られたり、内緒話をされてきました。私はいつも嫌な気持ちだったので自分が黒人である事をとてもにくみました。

けれど、今では逆に思っています。

その理由は、この体験を母に話した時、

「そんな事は関係ないの。あなたはあなたらしくいればいいのだから。」

と、言ってくれたからです。

母の言葉に勇気づけられた私は母のために役立つような仕事につこうと思い、目標を作りました。それは、母が作っている学校の教員になって母が言っていたように、少しでも多くの子供達に教育を教えることです。

けれども私は、もう一つの目標があります。それは、全世界が平和になるように祈り、そして平和活動などのいろいろなイベントに積極的に参加をすることです。

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